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ラフマニノフの生涯

1873年4月1日、ロシア・ノヴゴロド州に生まれる。
作曲家にしてピアニスト及び指揮者である。


1878年頃より母からピアノのレッスンを受け始める。
ラフマニノフ9歳の時、一家は破産しペテルブルクに移る。
ペテルブルグ音楽院入学後は、お世辞にも余り良い生徒ではなかったが、12歳の時、ピアニストの従兄アレクサンドル・ジロティに見いだされ、ピアノを学ぶことになる。
ちなみにアレクサンドル・スクリャービンとは同級であった。


1891年18歳にモスクワ音楽院ピアノ科を主席で卒業。
(スクリャービンは次席で卒業。)
1891年『ピアノ協奏曲第1番』を完成。
1892年モスクワ音楽院作曲科を卒業。
1897年最初の交響曲である『交響曲第1番』が初演される。
指揮はグラズノフであったが、批評家たちに酷評される。
この失敗により、神経衰弱ならびに完全な自信喪失を引き起こした。
その後、精神科医ニコライ・ダーリと出会い、徐々に自身を取り戻していく。


1901年『ピアノ協奏曲第2番』作曲。
ラフマニノフはこの曲をダーリに捧げた。
ピアノ協奏曲第2番は作曲家としての名声を確立し、ラフマニノフは有名な尊敬されるピアニストとなった。


1902年従妹のナターリア・サーチナと結婚。
1904年ボリショイ劇場の指揮者となり、約1年間務める。
1909年『ピアノ協奏曲第3番』を完成。
秋にはアメリカ合衆国への演奏旅行を行い、その際はピアニストを務める。
その後アメリカへ移住。
1934年『パガニーニの主題による狂詩曲』作曲


この後、交響曲第3番、交響的舞曲(最後の完成された作品)などが作曲された。
1943年癌のためビバリーヒルズで死去。



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