スポンサードリンク

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30

1909年9月23日に完成。
ラフマニノフ自身の作曲家としてだけでなく、ピアニストとしての才能を紹介するために書かれたとされる。
この協奏曲は演奏者に降りかかる技術的、音楽的要求で有名な作品である。
一般的に演奏されるピアノ協奏曲の中では難曲の一つとして知られている。
このピアノ協奏曲第3番は多くのピアニストに畏敬の念を抱かせている。
この作品の献呈者であるヨゼフ・ホフマンは「私では力不足だ」と言い、一度も演奏をしなかったという。
初演は1909年11月28日に、ウォルター・ダムロッシュの指揮、ニューヨーク交響楽団の伴奏によりラフマニノフ本人の独奏で行われた。
更に数週間後、グスタフ・マーラー指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって再演が行われた。
リハーサルの際、当時スラヴ系の音楽の演奏・解釈に不慣れだった楽団員がざわついたために、マーラーが「静かにしなさい。この曲は傑作だ」と言ってオーケストラを宥めたとのエピソードが伝えられている。
演奏時間は約45分。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18

1900年秋から1901年4月にかけて作曲。
第2楽章及び第3楽章が1900年12月2日に初演された。
のちの全曲初演は1901年10月27日に、
ソリストに作曲者であるラフマニノフを、
指揮者には従兄アレクサンドル・ジロティを迎えて行われた。
その屈指の美しさによって、協奏曲作家としての名声を打ち立てた
ラフマニノフの出世作である。
現在も最も人気のあるピアノ協奏曲のひとつであり、
ロシアのロマン派音楽を代表する名曲の一つに数えられている。


楽器編成
ソロピアノ
フルート2
オーボエ2
クラリネット
ファゴット2
ホルン4
トランペット2
テナートロンボーン2
バストロンボーン1
チューバ
ティンパニ
バスドラム
シンバル
弦楽5部

ラフマニノフ:交響曲第3番イ短調作品44

1935年6月に着手、1936年6月に完成された。
ドイツ流の4楽章制ではなく、フランス流の3楽章制を採用しており、
第2楽章の緩徐な主部が、スケルツォの役割を果たすトリオ(中間部)に対比付けられている。
1936年11月6日に、レオポルド・ストコフスキーの指揮とフィラデルフィア管弦楽団の演奏により初演された。
またラフマニノフは指揮者としてフィラデルフィア管弦楽団と共演して録音を残している。
演奏時間は約40分。


楽器編成
ピッコロ1
フルート2
オーボエ2
コーラングレー1
クラリネット2
バスーン2
コントラバスーン1
ホルン4
トランペット3
トロンボーン3
チューバ1
ティンパニ
シロフォン
シンバル
タンバリン
バスドラム
スネアドラム
トライアングル
ハープ
チェレスタ
弦楽5部

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27

1907年完成。
ロシアの交響曲の伝統に従って、ドラマティックな連続体として構成されている。
ラフマニノフの恩師でチャイコフスキーの高弟である、セルゲイ・タネーエフに献呈された。
初演は1908年2月8日にサンクトペテルブルクにて作曲者本人の指揮の下に行われた。
第3楽章の旋律は余りにも有名で、多くの映画やテレビで使われている。


楽器編成
フルート 3(ピッコロ持ち替え 1)
オーボエ 3(コーラングレ持ち替え 1)
クラリネット 2
バスクラリネット 1
ファゴット 2
ホルン 4
トランペット 3
トロンボーン 3
チューバ 1
打楽器
ティンパニ
シンバル
大太鼓
小太鼓
グロッケンシュピール
弦楽5部

ラフマニノフ:交響曲第1番ニ短調作品13

1895年に完成。その2年後グラズノフの指揮により初演される。
しかし初演は大失敗(グラズノフの無理解が原因とされている)し、ラフマニノフはそれが原因で精神疾患をおこす。
そして本人の意向により出版も差し控えられた。
1901年にピアノ協奏曲第2番を書き上げるまで作曲が出来なかった。


その後楽譜を置いたままアメリカへ亡命したため、楽譜が行方不明となる。
しかし、ラフマニノフの死後(1945年)、レニングラードにある国立図書館で初演の際のパート譜が発見され、同年10月復活初演された。
このときの演奏者は、アレクサンドル・ガウク指揮ソヴィエト国立交響楽団である。
その後1948年、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団で演奏されてから世の中に広まっていった。


演奏時間 約42分

ラフマニノフの生涯

1873年4月1日、ロシア・ノヴゴロド州に生まれる。
作曲家にしてピアニスト及び指揮者である。


1878年頃より母からピアノのレッスンを受け始める。
ラフマニノフ9歳の時、一家は破産しペテルブルクに移る。
ペテルブルグ音楽院入学後は、お世辞にも余り良い生徒ではなかったが、12歳の時、ピアニストの従兄アレクサンドル・ジロティに見いだされ、ピアノを学ぶことになる。
ちなみにアレクサンドル・スクリャービンとは同級であった。


1891年18歳にモスクワ音楽院ピアノ科を主席で卒業。
(スクリャービンは次席で卒業。)
1891年『ピアノ協奏曲第1番』を完成。
1892年モスクワ音楽院作曲科を卒業。
1897年最初の交響曲である『交響曲第1番』が初演される。
指揮はグラズノフであったが、批評家たちに酷評される。
この失敗により、神経衰弱ならびに完全な自信喪失を引き起こした。
その後、精神科医ニコライ・ダーリと出会い、徐々に自身を取り戻していく。


1901年『ピアノ協奏曲第2番』作曲。
ラフマニノフはこの曲をダーリに捧げた。
ピアノ協奏曲第2番は作曲家としての名声を確立し、ラフマニノフは有名な尊敬されるピアニストとなった。


1902年従妹のナターリア・サーチナと結婚。
1904年ボリショイ劇場の指揮者となり、約1年間務める。
1909年『ピアノ協奏曲第3番』を完成。
秋にはアメリカ合衆国への演奏旅行を行い、その際はピアニストを務める。
その後アメリカへ移住。
1934年『パガニーニの主題による狂詩曲』作曲


この後、交響曲第3番、交響的舞曲(最後の完成された作品)などが作曲された。
1943年癌のためビバリーヒルズで死去。



広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。